介護を受けていた母親と自分

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<<   作成日時 : 2008/03/07 02:13   >>

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 最近、妹が言っていた。「お兄ちゃんは田舎にいた時寂しかった?」と。 僕は「寂しかったよ。なんで?」 妹は 「XX(姪っ子の名前)が、おばあちゃんのうち(僕の家)に泊まった時寂しかったって言ってたから。」
と。 姪っ子が僕のうちに泊まったのはたった2,3日でしかなかったのだが、今は高校の受験生だ。その
姪が家に泊まったのはやはり、姪が幼稚園に入る前の出来事だった。 僕は自分の昔の頃と重なった。
たった2,3日でも両親と離れれば、幼いながらに寂しいと感じる。 自分は約8ヶ月両親と離れていた。
当然現在の自分に影響があるだろうと思う。 でも、誰も悪いわけではないし、状況的に見て、捨てられた
わけでもなく、施設にあずけられたわけでもない。 むしろ恵まれていたのかもしれない。 こういう事に気がついた今、自分を自分で受け入れなければならないのだろう。 まぁ、生まれ持っての性格もあるだろうし。

 できれば退行催眠療法で、自分の性格を治す? 鬱の原因? を取り除きたいくらいだ。退行催眠の本も何冊か読んだけど、どうも実行に踏み切れない。 自分はなぜ自律神経失調になったのか? なぜうつ病になったのか? 自律神経失調とは何ぞや? うつ病とは何ぞや? という思いからそれ関係の本20冊くらは読んでみた。 その中に「鬱の原因はひとつでなく、複数あり、何かを我慢していると原因となる複数の要素がどんどん増幅し、何かのきっかけで、あふれ出てしまう。バーンアウトしてしまう状態」「何に対しても無気力である」 「その状態が2週間以上続いている状態」 であることを知った。 実際、2週間どころではない。もう何年にもなる。 一時期、2年間くらいは病院も通わなくなり、薬も飲まなくて済んでたので、自分は治ったと思っていた。 しかし再発してしまった。 再発の時期を振り返れば、親父がなくなり、同時期にお袋が動けなくなり始めた頃と一致する。親のせいにはしたくはない。とどのつまりは自分の許容量が少ないせいなのかもしれない。

 自分でわからないことが、お医者さんにわかるだろうか。お医者さんは患者の状況をみて原因を探るという方式が常識なんだろうけど、精神的疾患、神経的疾患の場合、原因を特定するのは、患者の日常生活から生き方を遡ってみなければ判らないと思う。 だから服薬とセラピーが中心になるのだろう。外科的療法は聞いた事がない。

 さて、一応僕も両親のおかげで僕は成長し、専門学校に通っていた頃、家が倒産した。親父が商売を始めて、家を引越したのだが、それまでは順調に行っていたことが、引越ししてからぱったりと仕事がこなくなった。親父は使用人に給料を出すため、サラ金に金を借りた。まだサラ金規正法が出来る前のことだ。だが引越しした、家のローンが払えなくなり、手形の不渡りを2回だした = 倒産である。家には取り立てのやくざが寝泊りするようになり、電気・ガス・水道もと待った。僕たちは一家そろってサラ金の事務所に行ったこともある。親父は総額5千万の借金を背負ってしまった。しかし、親父は誰かの保証人になったわけでも、酒やギャンブルも女もやらない、生真面目な職人だったから僕は親父を恨んでいない。親父は『いよいよ他人に使われず、一人立ちしよう』 と決めた、前向きな考えだったからだ。確かそのとき親父は45過ぎくらいだったと思う。他人様からは「仕事がうまい」といわれてたが、職人だからお金の計算が苦てであったがゆえにこうなったらしい。 結局家を家をサラ金やくざに引渡し、僕たち一家4人は親戚と、友人のうちに
約一週間泊まり歩いた。 家を出るときは夜逃げでなく、泊り込みヤクザが見ている前で、本当に大事なものだけ、ボストンバッグに詰め込み、一人一個のバッグを持って出たのである。

 そういう事情だから、僕が通っている専門学校の学費が払えず、除籍処分となった。退学処分と違って、除籍処分は始めから入学していなかったという事で、退学よりも厳しい。専門学校では、一年制(生ではない)を卒業し証書もあり、就職せず、2年制の2年に編入したばかりだったが、学費が払えず、除籍処分となった。まあ、単位も足りそうになかったから、留年も覚悟していたのだが。

 僕はいわゆる『同窓生』がいない。通っていた幼稚園は今はなく、小学校に1年生で一度転校していて、高校は私立。その後専門学校。そして引越し。倒産。風のうわさで、高校の同級生が同窓会の為に僕の所在を探してくれたらしい。だが、僕の一家に誰かが連絡が取れるようだと、取立てが追いかけてくるから、僕たちの所在を隠していたから誰とも連ら気しなかった。だから『同窓生』 はいない。

 しかし親父はすごいところがある。50を過ぎて自動車免許を取ったこと、映画館の掃除でもなんでもアルバイトをしていたこと。病気と骨折をやっても、『まだまだ一旗あげる』と言っていたこと。そして、親父はもう助からないと、医者に言われたが、入院しているときに日記をつけていたこと、今日は何の治療をしたか・主治医と何を話したか、など。入院中に速記を勉強していたこと。明らかに病気を諦めず、病気と闘い、前向きな姿勢だった。 入院するときも、『行ってくる』 といった。生きてかえれなかったが。 しかし、親父がなくなる前に、5000万の借金はすべて完済していたのである。

 まあ、上を見たら切がないし、下を見てもきりがない。つまりこの世界に自分とにた境遇の人はいても完全に同じ境遇の人はいない筈だから他人に対して教えを垂れることは出来ないが。

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コメント(4件)

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人生いろいろ〜振り返ると、いろんな事があったよね。で、現在があるんだ。過去との折り合いつけないといけない時がある。特に私は。自分見直し必要ですね。
めだか
2008/03/07 19:03
にしき君、こんにちは。
いま2005年12月11日の初めてのブログの所へ行って来ました。
早いものですね、私が一月早く始めてちょうど、ひと月遅れでにしき君が始めていたんだなぁなんて、思い出しました。
2年の月日の中で、こんなに詳しく過去を振り返り、記事にされたのは初めてだよね。
私自身も悲惨な幼少期を過ごしましたが、にしき君も辛い幼少期を過ごされていたんですね。
それでもお父様の生き様は、一所懸命に生きて来られ必死で家族を守って来られたんでしょうね。
だからこそ、ご両親を恨む事も無く、お母さまの介護を出来る限り尽くしてきたのでしょうね。
色んな事を思い出しますよ。
仕事から帰ると、お母さまが大変な状態だった事、出勤前にヘルパーさんに気を使って、にしき君ならではの心配り・・・
大変だったものね、今はご自身のことも大切にしてゆっくり歩いていきましょうね。
月桂樹
2008/03/08 11:32
>めだかさんへ。
そうですね〜。多分人間の数だけ過去があるのでしょう。それも同じ過去はないのが不思議。だから『自分は人より不幸だ』とみんなが思っていたりして。 

>月桂樹さんへ
 そうですか、月桂樹さんと僕はブログはを始めた時期が同じくらいだったんですね。月桂樹さんの方が先輩。 今回初めて自分の過去を公開してみました。書ききれないこともあったけれど、今の、現在の自分を受け入れるために、そしてこれからの自分の為を思って。 まぁ、そうすぐに考え方がプラス思考になるとは思いませんが。 持続は力というから、プラス思考になろうとする意識を持続しているうちにいい結果が出るかもしれません。
にしき
2008/03/08 17:15
にしきさん おはようございます。
色んな事があって 今のにしきさんがいるんですね。
私は幼少期にはこれといってマイナス面は思い当たりませんが この頃よく思うのは 今までの何もかもが回りの誰かに支えてもらってうまくできていたんだ ということ。
今 人生の折り返し地点をすぎて 自分はなんて小さい人間なんだろうって 幼稚で独りよがりで情けなくて・・・
それでいて偉そうな事を言ってる自分が嫌になります。
その時その時は大真面目に考えているのですが・・・
人生まだまだ 修行の途中です。
kitakaze
2008/03/10 11:33

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